私たちの日常は自力のこころです。理念的に他力を理解しますが、自らに深く執着し、身を自力心に従わせ生活します。それゆえ、従えなくなる老病を厭い死を恐れます。自力心の思うままに出来ることを幸せと疑いません。三年続くコロナ禍は自力の思う価値あるものさえあればと思っていたのものが、実は負の価値になっていたという出来事が、自力心は<まこと>かと問うといます。実は自力心も、縁によってうまれ縁によって変わるものなのです。この縁起を親鸞さまが他力と呼び、本願を信受するこころがまことであると教えられます。念仏申すことは他力の本願を信受することです。それがそのまま自力の執心に命終し、縁起を自然に生きる命をたまわります。(北條師より)