ちょっと言い過ぎてしまった、冷たい言い方をしてしまったと思うことが、私には頻繁にあります。そんなとき、悪かったなと思いながらも次第に忘れてしまい、自分の言動を省みることはほとんどありません。
先日、月参りでお邪魔したあるお宅に、小学六年生のお孫さんがいらっしゃいます。金宝寺の英会話教室やてらこや食堂に参加し、三条別院の「こどもほうしだん」というお泊り会に参加してくれたこともありました。お寺や仏さまに親しみを抱いてくれていて、ひとりでも正信偈をお勤めすることができます。あるとき、このお孫さんが家族から叱られたそうです。すると誰に言われたわけでもないのに、夜も遅くに仏間へ行き、正信偈をお勤めしたそうです。きっと反省したのだと思いますとご家族の方はおっしゃっていました。お勤めを終えて戻ってきたときには「よくお勤めしたね、えらかったね」と伝えたそうです。
お仏壇は家に仏さまがいらっしゃる場所であり、お内仏という言い方をします。そこでお参りをするというのは先祖供養のためではなく、仏さまの教えと向き合い、自分の在り方を振り返るためです。また「南無阿弥陀仏」と称えるお念仏は「ありがとうございます」そして「ごめんなさい」という意味があります。自分を支えてくれる人がいて、今こうしてここに生を受けていることへの感謝の「ありがとう」。そして仏さまや家族、まわりの人が自分のことを大切に思っているのに、そのことに気付けず、時にないがしろにしてしまうことへの「ごめんなさい」。小学六年生のこのお孫さんはまさにそういうお念仏を称えたのではないでしょうか。お内仏を自分と向き合う場と受け止めて、生活に根付いていることに感動しました。反省しなければならないことをいつの間にか忘れ、なかったことにするのではなく、省みる場を持って生きていくのだと、教えられました。
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