亡くなった夫の七回忌があるので、そのときに永代経を納めたいのですがと、月参りで伺ったお宅でご相談いただきました。お聞きするとコロナ禍にあって国から受け取った十万円の給付金を全額、永代経として納めてくださるということでした。「私は年金をいただいているから少しずつ積み立てて、孫とひ孫にはほしいものを買ってあげることができます。そこで今回の給付金を何か自分が大切だと思うことのために使いたいと思ったのです。」とおっしゃるのです。私はそのお気持ちに感動すると同時に、自分を恥じました。金宝寺もコロナウィルスの影響を受けてはいますが、私自身の毎月の給料は変わらず、十万円という給付金はラッキーな臨時収入と思っていました。妻と相談し、子どもたちの分を含めて基本的には全額生活費に充てて、二万円ずつお小遣いとして自由に使おうと決め、私はお取り寄せグルメを満喫する予定でした。
永代経とは、お亡くなりになった方のために永代にわたってお経をあげて供養するというイメージがあるかもしれません。しかしお経というのはお釈迦さまの説法であり、それは今を生きる私たちに向けられているのです。ではなぜ永代経をあげるのかというと、それは私たちが仏の教えに出あうため、そして未来を生きる子どもたち、そのまた先の世代が仏教の教えに触れることができるようにするためなのではないかと思います。皆さまからお納めいただいた永代経は、金宝寺の設備の更新や聞法会等の様々な活動に充てさせていただいておりますが、それはつまりお寺の護持、教法の宣布のためであり、広く仏教の教えを伝えるためなのです。
仏の教えをいただき、生きてゆく僧侶という立場でありながら、私は二万円を自らの欲を満たすためだけに費やそうとしていたのです。永代経を納めたいというその方は仏さまだと思いました。その言葉に私は照らし出され、教えられて、昔ボランティアをしていた施設に寄付することを決めました。
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倉井光弥 (水曜日, 07 4月 2021 11:03)
私も同種の経験があります。
しかも何度も何度も。
その都度、御門徒さんから教えられるのは自分の欲深さ、恥ずかしいことを恥ずかしいとすら思っていない姿です。
この記事自体にまた私自身照らされた思いです。
ありがとうございました。
朝倉奏 (水曜日, 28 4月 2021 20:39)
倉井くん
門徒さんから教えられる、気付かされることは多いですよね。
仏さまのはたらきは自分のまわりにあふれているのだと感じます。
南無阿弥陀仏は「ありがとうございます」であり、「ごめんなさい」だと言いますが、本当にその通り感謝し、反省し日々の法務を勤めています。