親友の死

 「夫が亡くなりました」という親友のお連れ合いからの電話を切った後も、現実が呑み込めず、子どもと作っていたブロックを組み立て続けました。しばらくすると、もう二度と、話すことができないという悲しさ、孤独感に涙が込み上げてきました。京都で過ごした大学時代、お酒を飲んで若者らしい話をしたり、バイクであちこち出かけたり、青春をともに過ごした親友が、夏の終わりに亡くなりました。中学生、小学生、幼稚園児の三人の子どもを残して。バイク事故でした。

 大阪で執り行われた通夜にお参りしました。子どもたち、お連れ合い、ご両親、ご親戚、縁のあった方々のすすり泣く声が聞こえる通夜会場に、掲げられた親友の遺影は、いつものように微笑んでいました。最後に、棺の中の親友の顔を見せてもらいました。「父親が必要な三人の子どもを残して死んでしまうなんて。もっと二人でビールを飲んだり、家族ぐるみ遊んだりしたかったのにいなくなってしまうなんて。」そんな悲しみと憤りから、それまで「この馬鹿野郎」くらい言いたい気持ちがありました。しかし、まるで眠っているかのような顔を前にすると涙が止まりませんでした。そして私の口から出たのは「ありがとう。ありがとう。また会おうな。」という言葉でした。

 お経の中に「俱会一処(くえいっしょ)」(ともに一つの所で出あう)という言葉があります。私たちはこの世でのいのちを終えると、浄土に往生して仏となり、そこで出あうのだという教えです。死後の世界で再会できるということをイメージさせますが、大事なことは、今ここで、浄土を生きること。つまり、すべてのいのちを、ともに浄土を生きてゆく尊い存在として受け止めて、日々を歩んでゆくことだと学んできました。そのことを理解していても、私には、この世でのいのちを終えたらおしまいではない、浄土という世界があるということは、親友の死という悲嘆の中で、大きな救いでした。また会うことができる日まで、自分の人生を大切に生きてゆこうと思えたのです。

 

 

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